おれらのリューダ祭

おれらのリューダ祭に向き合う

僕は、小学生の頃からおれらのリューダ祭に参加しています。
リューダは僕が「見るもの」「聞くもの」「感じるもの」などすべての価値観とか感覚にとても大きく影響していると思う。

リューダについて、「どんな活動をしているのか」「何を学んだのか」「どんな目的があるのか」ということを文章にしようと、何度も試みてきたけれど、いつもうまくいかない。
何を書いても、何か足りない気がするし、検討違いな気もするし、文章化するとしっくりこない気がする。
リューダはふわふわゆらゆらしていて、どこに向かっているのか、集団なのか、場所なのか、イベントなのか、学びの場なのか、社会なのか、よく分からない。

去年、市民フェスティバルに出演した時に、団体紹介として(ちょっとエヘン顔で)こんな文章を書きました。

僕たち「リューダの会」は、伝統行事である「脚折雨乞」の龍の伝説をモチーフに子どもによる新たな祭りを作るという市教委の取り組み「おれらのリューダ祭」を、事業後も継続して開催していきたいという市民により結成された団体です。
幼児から大学生まで、広い年齢の友人関係の中で、身体を使った踊りや歌のパフォーマンスを通して本気で遊び本気で楽しむという活動をしています。
昨年は、高麗の自然の中で楽器を鳴らすキャンプや、収穫祭「ビッグカウカウ」などを行いました。
青年団は、リューダの会のこどもを中心に集まった有志の集団で、異年齢のコミュニティー集団として、また、次期おれらのリューダ祭の開催を目指して新たな表現方法を模索しながら活動しています。

うーん、今読んだら全然しっくりこない。
「祭りを作る」ってところとか、「本気で」ってところとか、リューダの目的は何なんだろう。
キャンプとか、収穫祭とか、これは何なのか。
そして、異年齢のコミュニティー集団とか、新たな表現方法とか、かっこよさそうな表現だけどこれって抽象的で胡散臭いし、すごくもやもやする。

おれらのリューダ祭をすると…

これは結構簡単に言える。

楽しい。嬉しい。やってよかった。もっとやりたい。気持ちが良い。歌いたい。歩きたい。走りたい。身体の底から声を出したい。とにかく身体を動かしたい。みんなと一緒に踊りたい。みんなで一緒に歌いたい。自由に踊りたい。旗を振りまわしたい。楽器を鳴らしたい。

これは、やってみなくちゃ分からない。
本当に、こんなに気持ちが良いことってあるんだろうかって思うはず。
自分の身体のこと、全然知らなかったんだなって思うし、自分の身体が生き生きしているのを感じることができる。

おれらのリューダ祭の目的(?)

・子どもによるまつり「おれらのリューダ祭」を作る。
・つくる過程を通して忘れ得ない体験と深い感動を互いに授受・享受し、健全な交流と成長の機会を創出する。
・「遊び」 = 「学び」の空間の実現を目指す。
・以上をもとに、地域における生活の充実と地域文化の向上に寄与する。

これは、同じく市民フェスタに出した団体紹介に毎年書いてあるリューダの団体としての目標。
3つ目の文章は興味深い。たぶん、この中で一番重要なんじゃないかと思う。

・「遊び」 = 「学び」の空間の実現を目指す。
これって何なんだろう。

まだまだ勉強不足なので、今日はこのあたりで。
リューダって、考えれば考えるほど深くて何やってるのか分からなくなる、けどそこには必ず大切にしないといけないと思う重要な何かがあるんだと思う